掃除が苦手なのは本能のせいだと確信した

思ったこと

 

転勤して現在のアパートに引っ越してはや3ヶ月。

 

最初は何もなかった部屋に家具とかが充実してきて、生活感が出てくると同時に、

 

部屋が散らかってきました。

 

でも、ボクは掃除が小さい頃から苦手で、

 

脱ぎ捨てた服とか部屋に散乱しているのはザラ。

 

ゴミ収集の日を忘れて一週間ゴミが部屋と玄関に置かれたままという事もめずらしくありません。

 

一人暮らしでコレが続くもんだから、実はヒトは掃除をする生き物ではないんじゃないかと、最近は考えるようになりました。

 

地球上には掃除をする動物がたくさんいます。

 

アリやミツバチ、エビでさえ巣の中をきれいにすることは有名ですし、なんなら巣が壊されたら修復作業もします。

 

なかには自分で掃除しない魚や動物もいますが、それらは「共生」といって身の回りの小さな生き物がキレイにするということを知っています。

 

たいしてヒトは自ら進んで掃除をするという事に気後れすることが多いですし、それをカバーしてくれる共生生物もいません

 

下手したら日常生活に影響が及ぶレベルにならないと掃除しようと決心しないヒトも存在します。

 

「でもルンバとか掃除代行サービスとかあるじゃん」と言われるかもしれません。

 

しかしそれは何百万年前から続くヒトの歴史を考えるとそれはつい最近のことであり、ならばそれまでどうしていたのかという話になります。

 

このことからも分かる通り、ヒトには掃除をするという本能が本来備わっていないのです。

 

ところで、ちょっと前まで糖質制限ダイエットが流行しました。

 

糖質を摂らずにタンパク質と野菜だけを摂っていれば生活習慣病にならずに健康でいられるというコンセプトです。

 

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この主張の根拠の1つが、

 

「ヒトは何百万年も狩猟で暮らしていて、農耕で暮らしはじめたのはつい一万年くらい前だから、ヒトの体は米(糖分)に適応できていない」

 

という事です。

 

つまり、ヒトは今まで自分に適した行動を取っていたのに、いきなり違う事を始めたから体に負担をかけているという趣旨です。

 

数百万年も動物や木の実を移住しながら追いかけていたヒトは、一万年くらい前に農耕を始めました。

 

農耕は定住を意味し、それに伴いフットワークが軽い狩猟採集民だったころにはしなくてよかった事が課されるようになりました。

 

その一つが掃除です。

 

それまでは、排泄物、食べ残しなどのゴミは移住の際に捨てておけば自然が分解していました。

 

しかし定住することによりゴミの量が自然処理では追いつかないくらい増えた結果、ヒトが手を加える必要が出てきたという流れです。

 

遊動から定住にシフトした人類は正しかったのか?
「人類史のなかの定住革命」 (出版)西田正規 人類史は季節に応じていろいろな場所へ居住地を変える「遊動生活」と、年間を通じて一つの場所で住み続ける「定住生活」の両方を採用してきました。 本書は「遊動生活」と「定住生活」の二つの性質を説明して

 

つまり、

 

掃除はコメ社会が始まった時にセットで付いてきた物で、まだヒトの体が糖質に適応できてないのと同様に、掃除も本能として機能していない

 

という事です。

 

よって、掃除ができないのは「自分がだらしない」とか「病気だ」という訳でなく、マジな話ヒトの本能的な部分の問題だったりするんだと思います。

 

もともとイヤな事からは移住して逃げるという本能が狩猟採集民の時からプログラムされていたのですから、掃除をしなければならないというイヤな事からも目を背けたくなるのは自然なことだと思います。

 

「じゃあその汚い部屋を他人にさらせるのか」と言われれば、

 

まぁ、できないワケなんですが(笑)

 

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