「死ぬ瞬間の5つの後悔」
(著)ブロニー・ウェア
(出版)新潮社
この本は長年訪問介護の仕事を請け負っていた女性が、幾多の患者の最期を看取った体験をもとに書かれた本です。
著者のブロニー・ウェアはもともと緩和ケアの体験をブログに書いていて、それが反響をよび本が出版、26か国語に訳されて世界中で読まれています。
もともとブロニーは銀行員として金融界で働き、10年ほどで「このままこの仕事を続けていくイメージが付かなかった」ということで退職。
ヨーロッパの国々を渡り、旅費を稼ぐために様々な職業に就いたのちに、居住スペースを借りることができるという事で訪問介護の仕事を引き受けるようになりました。
そしてそのまま長年にわたり介護の仕事を続けて今にいたるようです。
彼女が長年患者の最期を看取ることで、人が死ぬときには共通したことで後悔する という事を本書では語ります。それが下記の事柄です。
- 自分に正直な人生を送ればよかった
- 働き過ぎなければよかった
- 思い切って自分の気持ちを伝えればよかった
- 友人と連絡を取り続ければよかった
- 幸せをあきらめなければよかった
どの項目も基本的なことで、別に意識をするまでもなくできそうな感じがします。
きっと時が経過して大人になるにつれて、私たちは「可能性」を諦めなければならないという風に考えるようになり、結果として上記の基本的な欲求までもが最後の後悔の対象としてあらわれるのでしょう。
印象的なのは、彼女のリストの中には「働き過ぎなければよかった」という念が挙げられていることです。
人は往々にして職場の地位や収入を人物を計る尺度として利用しがちです。そのために少しでも自分の社会的地位を上げるために昼夜を問わず猛烈に働く人がいます。
本書にもそういった人のエピソードがありますが、その人は自分のアイデンティティを仕事の中でしか見出すことができなかったことにより深い後悔の念を残しています。
「家族のためでなく、自分が他人にどう思われているのかが気になって、働き過ぎだと心の中では分かっていたけれど、止められなかった。もっとプライベートにも重きを置いてバランスを保つことができていれば、家族との溝が深まる事はなかった」とブロニーに語っています。
ボクがあした死ぬと宣告されたら、ボクは何を後悔するのでしょう。
きっと「もっと遊びたかった。自分がまだやったことがない面白そうなことに、もっと挑戦してみたかった」と後悔するでしょう。
…これはひょっとしたら仕事してる場合じゃないのかもしれません。
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